屋台紹介 上組
近世において、久保町は仲町とともに裕福な商家が軒を連ねる鹿沼宿の中心で、その町がらから、久保町の屋台は費用をかけた点において鹿沼宿内第一である。
屋台内部まで黒漆塗で、飾金具もふんだんに使用され、彫物も絵画風に彩色され、その技法とともに黒漆塗彩色彫刻屋台の代表的なもので、豪華絢爛という点では他にその比を見ない。
金泥に朱で彩られた鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)の「双竜」が渾然一体となっており、しかもその一部が唐破風板(からはふいた)との一木彫。金泥塗の「唐獅子」と彩色された牡丹の脇障子、琵琶板・障子回りは繊細でやわらかな花鳥彫。外欄間の前方にはミミズクを配し、後方にはきらびやかな金竜が配され、屋台全体が五彩さん然としている。彫師は不明で、屋台箱に文化9年・10年(1813年頃)と墨書銘があり、その頃の製作が主体を占めていると思われる。
旧称は上横町。昭和29年に銀座二丁目と改称した、古くからの商店街である。
弘化4年(1847)の大火で屋台は類焼にあい、嘉永6年(1853)から屋台建造に入り、安政4年(1857)に再建されている。屋台建造費は、その他の経費を除いて200両近くかかった。
江戸住の棟梁・後藤音次郎のもと、後藤音吉、富田宿(現大平町)の磯辺儀兵衛敬信3代目(平五郎)、後藤猶之助などの彫師による白木彫り屋台である。
古くからの屋台では柱飾り彫物を有する唯一のものである。鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)の「巨大な鳳凰」、桜樹を骨組みに「花鳥」を配した外欄間と障子回り、高欄下(こうらんした)と車隠しが一体となった力強い「波に竜」、内琵琶板と内欄間いっぱいに5匹の「親子獅子」など、全体としての調和のとれた構図が当屋台の見どころであり、棟梁音次郎の特色でもある。脇障子の彩色された玉をつかんだ「波に双竜」の彫物は、とても見ごたえがある。脇障子の下の部分には亀も配されている。県・市の助成にて昭和63年度に屋根と車輪、平成10年に彫刻ほか全面修復が完成した。
(昭和58年市指定有形文化財)
白木造り、脇障子のみ飾金具付黒漆塗、彫刻材はイチョウとも、栃とも言われている。白木彫で一部朱入り。
鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)は、2匹の豪壮な「雄竜」が、波間に相対じしたさまである。
琵琶板や外欄間は「尾長鳥に梅(一部桜)」を配し、緻密な「小桜」の技法を見せている。
彫刻は竜が中心となり、その見せ場は脇障子の「竜と虎」である。障子回りも、うしろ障子も竜の彫刻である。
高欄下(こうらんした)及び車隠しは「牡丹に唐獅子」で統一されている。
厚みのある彫刻は安定感があり、均整のとれた彫刻屋台となっており、全体的に丁寧なのみの冴えを見せている。
江戸期(年代不詳)製作の屋台で、彫師は戦前の調査では磯辺敬信であるという。
昭和62年に屋根と台輪を、県・市の助成にて修復した。
平成13年には、文化庁の助成にて鬼板と懸魚が修復された。
(昭和56年市指定有形文化財)
文政11年(1828)製作の屋台で、「石塚知興(初代直吉)」の刻名と、天保12年(1841)の屋台箱墨書銘が見られる黒漆塗彩色彫刻屋台である。
石塚知興(初代直吉)は、その子石塚吉明(2代目直吉)と共に田沼町に生まれ、鹿沼に移住して社寺や屋台の彫刻に腕を振るった。石塚知興(初代直吉)の代表作は薬王寺本堂内欄間の天女である。
石塚知興(初代直吉)は花鳥を得意とし、その華麗さを脇障子の「孔雀に藤と牡丹」に見ることが出来る。その脇障子は上下2段に分かれていて、上にオス・下にメスの孔雀を配している。
外欄間の「葡萄にリス」の彫物も石塚知興が得意とした題材の1つである。
鬼板(おにいた)は金獅子で、2匹の子獅子は破風板(はふいた)の両端上に離れて位置し、相対する懸魚(げぎょ)も金獅子2匹で、高欄下(こうらんした)の獅子まで金色に輝いている。螺鈿細工があるのも珍しい。
昭和63年度に、県・市の補助金を含め、500万円をかけ、屋根・破風・鬼板等の塗彩色修理が施され、平成8年に修理が完成し、建造当時の絢爛華麗な姿が復元された。
(昭和49年市指定有形文化財)
鹿沼宿の木戸外の道筋に家がたち並び、店がはられたことから外張といい、後に戸張町として、文化5年(1808)今宮神社の付け祭に参加している。
文政11年(1828)製作の屋台で、彫師は町内住の石塚知興(初代直吉)・石塚吉明(2代目直吉)親子と門人同栄吉明儀、彫物屋清兵衛が製作に従事し、文政12年(1829)白木彫刻屋台として完成した。
天保6年(1835)彫刻を追加し、弘化3年(1846)飾金具付黒漆塗彩色彫刻屋台に改められた。
鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)に対比させた「獲物を狙う大鷲と、藤に身を隠す3匹の猿」の構図が面白く、3匹の猿は各々違う色に彩色されている。
琵琶板や内欄間の緑・青を基調とした彩色が美しい「葡萄にリス」の彫物や、より厚肉彫になっている「ひょうたんと錦鶏鳥」の脇障子、前柱上部に対じする「金竜」もこの屋台の特色である。県・市の補助により屋根・破風・鬼板・懸魚の彩色修復が平成8年に完成している。
(昭和56年市指定有形文化財)
泉町(いずみちょう)
白木彫刻白木造屋台
平成8年に完成した鹿沼で一番新しい27番目の屋台。
白木造彫刻屋台で、鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)は、泉町が旧鹿沼宿の北部(北の守り)に位置することから、玄武(蛇と亀)の彫り物で飾られている。
脇障子・欄間・水引などは「花鳥」にて優美さを誇っている。
彫師は彫工嘉門(黒崎孝雄)で、屋台本体は日吉町の宇賀神久男の作である。
御成橋町(おなりばしちょう)
彩色彫刻黒漆塗屋台
江戸時代、将軍が日光にお成り(日光御社参)の際、新しく黒川の橋をかけかえたことから、御成橋と呼び、かつて並木と呼ばれていた例幣使街道沿いを明治に入って、由緒ある橋名から御成橋町と称した。
明治10年に番外ではあるが今宮神社の付け祭にはじめて参加している。
大正6年に花屋台(白木屋台)が新造された。
その後、花屋台だけでなく、徳次郎門前(現宇都宮市)から彫刻屋台を借りるなどして、今宮神社の付け祭に参加していた。
昭和10年頃、町内住の彫師石塚直吉(3代目直吉)の孫、石塚広次が彫刻を取り付け、花屋台を生かすことになった。
戦後、総体黒漆塗に、彫物は彩色が施されて一段と風格のある屋台となった。
平成14年には、文化庁の助成にて車輌、屋根が全面修復された。